パーソナルトレーナーになった理由。《100》
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
こんにちは!
横浜市青葉区で活動する『ココロとカラダの軸をつくる』
Mind & Body Design Studio.代表/パーソナルトレーナー津浦貴行です。
今回のブログで、書き始めてちょうど《100》となりました。
パチパチパチ👏
みなさま、お読みいただきありがとうございます!
本当は、今頃《200》はいっているはずでしたが、まだ半分というスピードです。
亀さんのようにゆっくり進んでおります。
でもこれが良いのかもしれません。
これからも『もしもし亀よ亀さんよ』で行きます。(笑)
そんなに書くことありますか!?
と言われそうですが、まだまだあるんです。
今思いつかないことも、急に降りてくるんです。
その時は、ウサギさんのようになります。(笑)
そのあと休みます。
うさぎと亀の話と同じです。
こんなところで、繋がっているなんて思いもしませんでした。
書いてて、鳥肌が立ちました。(笑)
今回は《100》ということで、
パーソナルトレーナーになった理由と、それまでの過程を書きます。
(プロフィールでも書いてはいますが、色々と省力しています。)
私の知られざる過去もお話しいたします。
目次
一人でも多くの人を元気にし、寝たきりをなくす。
身近な存在が病気で亡くなる。
私の父方の祖父は、私が生まれる前に病気で亡くなっています。
なので、写真でしか見たことがありません。
小さい頃の私にとって、病気で亡くなってしまうとういうのは、インパクトが強いんです。
そして、『悔しい思いと、自分自身はいつまでも元気で過ごす』という想い。
それを目の当たりにする度に、「なんとかしなくちゃ」と思うようになりました。
それは防げたのでは無いか、それに気がつけば、結果が違うのでは無いかと。
当時の私は、そう思っていても何の知識も無い状態で、
「どうすれば良いのか」という葛藤がありました。
でも年月が経つに従って、様々な経験をしていく中で、
『どうすれば良いのか』という方向性が見えてきました。
偶然というか、必然的だったと、今そう思います。
そして今年、私の伯父が病気で亡くなりました。
志半ばで、まだまだやりたこともあったはずです。
とても悔しい想いです。
今も思い出して、涙が出て来てしまいました。(苦笑)
『一人でも多くの人を元気に、生涯寝たきりをなくす!』という想いがより強くなりました。
それが私の使命。
偶然ではなく、この世界に生まれて来た意味ではないかと思っております。
ダイエットとか筋肉をつけるとかも大事なことですが、
何と言っても元気であり続けることが大事です。
叔父が亡くなってから、父のスイッチが入ったようで、
ダイエットを始めました。
もちろん、私の指導を受けて。
ダイエットを始めてから半年で15kg減です。
今まで人ごとに捉えていた父の意識が変わったのです。
やっとか気がついたか。という感じです。(笑)
まだまだ、やりたいことがたくさんあるようなので、
いつまでも元気でいてもらいたいです!
それでは、もう少しそれまで過程を書きます。
体が弱かった当時。
もともと体が弱く、喘息持ちで小さかった当時。
食が細く、なかなか食べることができずにいました。
そこから体を強くすると、
『見える世界も違うし、できなかったことが出来るようになるんだろうな』
という想いが強くなって、体づくり始めました。
それは、体を鍛える。
つまり、筋力トレーニングを含めた体づくり。
初めは、無知の状態でしたので、
『トレーニングや栄養の本を読んでは実践して』という繰り返し。
無知という状態が逆に、その情報がすんなり入って行きました。
覚えていくに従って、楽しくなって行きました。
体も少しずつ変化して行き、気がつけば喘息は治っていました。
それが一番嬉しかった。
毎日、苦しい思いをし、何度も死に掛けましたから。(苦笑)
今思うと、でもそういった出来事は、
『今の仕事をするために、神様が用意したもの』と捉えています。
なかなか経験できませんから、感謝です。
怪我をする。
高校生の時、体が大きくなっていったものの、まだまだ経験が浅い状態でした。
野球の練習中に膝を怪我しました。
突然の激しい痛み。
曲がらず、歩けない。
やばい。
当時の私は、まだネガティブな感情を抱きやすかったので。
かなりマイナスに捉えていました。
悪い方へと考えてしまう。
それがかえって、怪我の治りを長引かせてしまいました。
そして、野球を辞めざるおえない状況に。
とても悔しい思いでした。
実は、ここで高校を一度中退しています。
何もかも投げ出したい気持ちに負けてしまいました。
でも救ってくれたのは、家族や親戚。
感謝してもしきれない気持ち。
少しずつ気持ちが素直になった頃に
親戚の方の紹介で、整体に行きました。
体がかなり歪んでいたようで、
帰りの歩き方がいつもと違いすぎて、歩きづらかったのを覚えています。(笑)
そこから何度も通って、体の基礎を作っていただきました。
気持ちも変わるんですね。
そこからポジティブな感情を持つようになりました。
だから、これまでの経験は次に活かせば良いと捉えました。
高校再入学、そして陸上競技を始める。
通信制の高校に通い始めました。
そこでは様々な年齢の方がいて、
下は現役、上は70歳以上と世代が違う方達と一緒に学びました。
面白い3年間でした。
その当時にしかわからない出来事も知ることができたりと、
何もかもが新鮮で、経験値として今の自分の一部になっています。(笑)
そして、またスポーツを始めたいと思っていたところ、陸上競技に出会いました。
久々に走った時の100mのタイムが
14秒台と悲惨な記録だったことを覚えています。(笑)
でも不思議なもので、だんだん速くなっていったんです。
気がつけば11秒台中盤まで、速くなりました。
ただ、メインの種目がなぜか円盤投げでした。
円盤投げはやろうと思っても、
なかなかできないので、やって良かったです。
大会での成績は、通信制・定時制の全国大会で第2位という成績を収め、
当時の東京都の選手キャプテンも務めました。
それまで引っ張っていくことをしてこなかった自分としては、かなりの成長です。(笑)
そこから、今の職業に少しずつ近づいていきます。
トレーナーとの出会いから専門学校へ入学。
陸上競技の練習によくトレーナーが来ていました。
そこで選手の状態を見たりするのを目の当たりにしていくに従って、
今までの出来事を思い出しました。
「私が求めていたものは、これかも」
そこから、縁があって、そのトレーナーが代表を務める陸上クラブのスタッフとして働くことになりました。
経験を積んでいくうちに、もっとトレーナーとしての勉強をしたいという気持ちが生まれます。
それからトレーナーの専門学校に入学し、
トレーニング理論をはじめ、生理学・解剖学・栄養学など、
2年間でトレーナーの基礎を学び、卒業後はフィットネスクラブで働きはじめます。
インストラクターからパーソナルトレーナーへ
フィットネスインストラクターの仕事は、
マシンジムでのお客様へのマシンなどを安全に使えるようにお伝えしたりします。
そして、大人数を相手にするスタジオレッスンをはじめ、
マンツーマンのパーソナルトレーニングも行いました。
しかし、一人でトレーニングを行なっている人の多くは、
なかなか結果が出ずに悩んでいたり、退会してしまったりと、
「ここままではいけない」と強く思うようになりました。
パーソナルトレーニングのお客様は、何ヶ月も経つと、元気になっていきました。
悩みだったものは、悩みではなくなり、自信を持つようになっていきました。
それは姿勢が良くなり、自然と前向きな気持ちになったということ。
私自身がトレーニングを通じて経験したことを、同じように経験さることができたのです。
「同じように悩みを持った人たちをもっと助けたい」という想いから、
パーソナルトレーナーとして独立しました。
私と接することで、元気になり、生涯楽しく過ごしてほしいという想い。
自分の足で歩き続けてほしいという想い。
そして、私と出会ったあなたから、周りにその影響を与えるきっかけとなる存在となる。
それが代々続いてほしいという想いです。
私と接することのできる人数は限られています。
しかし、私と接したあなたから周りに繋げることは可能だと思うのです。
そこから広がる輪は、今後の人生にも影響してきます。
だからまず、私自身が変わるきっかけとなる存在であり続ける必要があります。
いくつになっても、見本となる姿でいる。
以上が、パーソナルトレーナーになった理由とその過程です。
かなり長い文で、読みづらい部分もあったかもしれません。
しかし、変わるきっかけとして何かを掴んでいただけたら幸いです。
一人で悩んでいたら、抱え込まずに相談してくださいね!
顔晴るあなたを応援しています!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
《Mind & Body Design Studio.代表/パーソナルトレーナー津浦貴行》